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東京高等裁判所 平成4年(ネ)3304号 判決

控訴人 志賀洋平

被控訴人 志賀美智子

主文

一  本件控訴に基づき、原判決主文第2項を次のとおり変更する。

1  被控訴人から控訴人に対し、金1100万円を財産分与する。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金1100万円を支払え。

二  控訴人のその余の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審を通じこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

1  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも、被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

控訴棄却

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり、付加、訂正、削除するほか、原判決事実摘示の「第二当事者の主張」欄の記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決3枚目表5行目の「被告を家の外に」を「被控訴人を家の外に」に改める。

二  同3枚目裏2行目の「両親」を「母親及び姉」に改める。

三  同4枚目裏5行目の「同年6月」を「昭和61年6月」に、同8行目の「7年余りにわたる」を「、7年余りにわたる」にそれぞれ改める。

四  同5枚目表8行目の「4万円」を「7ないし8万円」に改める。

五  同5枚目裏1行目の「(10)、」の次に「(11)(うち、金60万円相当部分)、」を、「(19)」の次に「うち、金90万円相当部分)、」をそれぞれ加え、「350万円」を「450万円」に改め、同2行目の次に、改行して次のとおり加える。

「ウ、別紙債券目録(3)ないし(6)及び(8)の丙銀行のA債券金145万円」

六  同5枚目裏5行目の「梅カントリークラブ」を「梅カントリー倶楽部」に改める。

七  同6枚目表4行目の「(11)、」を「(11)(うち、金60万円相当部分)、」に、「(19)」を「(18)、(19)(うち、金60万円相当部分)」に、それぞれ改める。

八  同6枚目表5行目の次に、改行して次のとおり加える。「なお、右ア及びイは大沢から贈与されたものであり、ウは控訴人から贈与されたものである。このほか、被控訴人名義の竹カントリークラブ会員権があるが、これは、名義を他人に貸しているものにすぎず、自分に帰属する権利ではない。」

九  同6枚目表9行目から同裏3行目までを削る。

一〇  同7枚目末行の「合計して」を「建築費用中控訴人が相続した財産から支出した90万円を加えて」に改める。

一一  同7枚目裏8行目の次に、改行して次のとおり加える。

「(4)債券類、ゴルフ会員権、宝石類について

全て控訴人が相続した財産を換価したものの変形であり、控訴人の特有財産である。」

一二  同7枚目裏9行目及び10行目を削り、同末行の「否認する。」の次に「被控訴人の特有財産と主張するものは全て控訴人が相続した財産の変形であり、いずれも控訴人の特有財産である。仮に、これらの国債、B債券等が大沢の送金により購入されたものとしても、その送金されたものは、控訴人が大沢に預けてあった株式等の売却代金であって、大沢の被控訴人に対する贈与の性質を有するものではない。また、ウのゴルフ会員権は、名義を被控訴人にしたものにすぎず、実質は控訴人に帰属するものである。さらに、竹カントリークラブの会員権は、控訴人が相続した財産の変形であり、控訴人の特有財産であり、このほか、控訴人の特有財産として、美和子名義の130万円のB債券及び被控訴人名義の31万円のA債券が存在する。」を加える。

一三  同8枚目表2行目の「その余は知らない。」及び同5行目を、それぞれ削る。

一四  同8枚目裏2行目の次に、改行して次のとおり加える。

「被控訴人は、大野竜二と、遅くとも昭和57年後半から頻繁に不貞行為に及び、昭和62年末頃まで竹カントリークラブなどで両名同伴泊りがけのゴルフプレーを反復した。したがって、本件は、不貞行為を行った者からの離婚の訴えであり、有責配偶者からの離婚請求として、離婚請求を認容すべきではない。

4 右に対する被控訴人の答弁

すべて否認する。控訴人の主張するところは、すべて控訴人の邪推による荒唐無稽な作り話であり、客観性を欠く中傷である。」

一五  同別紙物件目録表2行目及び6行目の「第○○○○」を「大○○○○」に、同末行の「××××番地×の×」を「××××番×の×」に、それぞれ改める。

第三証拠関係

本件訴訟記録中の、原審及び当審の各書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一離婚請求について

一  婚姻生活及びその破綻について

証拠(甲一ないし一二、一七の1、2、一八ないし二一、三七の1、2、四二の1ないし5、四三、乙一ないし四、五の1ないし23、六の1、2、一五、一六の1、2、一七、一八、二○、二一、二二の1、2、二六の1ないし3、三七、三八、四一の1、2、四二の1ないし4、原審及び当審の控訴人、原審及び当審の被控訴人)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、右証拠のうち、次の認定に反する部分は信用し難い。

1  控訴人と被控訴人との出会い

控訴人は、甲物産株式会社業務部に勤務し、主として海外業務に従事していた。被控訴人は、昭和36年頃、当時同社業務部次長の地位にあった被控訴人の実父大沢の紹介で、控訴人と見合いし、交際するに至った。

2  婚姻と子らの出生

控訴人と被控訴人は、昭和36年10月21日婚姻届出をし、その間に、昭和37年12月16日に長女美和子を、昭和43年12月26日に長男功平をもうけた。

3  婚姻当初の生活(昭和36年から同43年まで)

美和子出生後間もなく、控訴人及び被控訴人は、中野区○○の控訴人の両親宅に同居するようになったが、控訴人が同40年12月に甲物産カイロ所長として赴任するに至り、同41年11月、被控訴人は、美和子を伴って、カイロに移住した。

被控訴人は、はじめての海外生活が心細かったということや、言葉が不自由なこともあり、美和子の入園手続、病気の際などに控訴人の援助を求めたが、仕事に多忙な控訴人からは十分な手助けが得られず、被控訴人の不安、心労は大きかった。その頃、体調を崩し、神経性胃炎等で苦しんでいたが、毎日のように続く来客の接待には内助の功を発揮していた。

昭和42年に中東戦争が勃発したため、同年6月15日、被控訴人及び美和子は、一時ミラノに避難し、2週間後帰国した。被控訴人及び美和子は、控訴人の母親及び姉と○○の家で同居したが、控訴人は、カイロに残ったため、控訴人及び被控訴人は、1年程別居生活を送った。

4  ○○の家での控訴人の母親と同居の時期(昭和43年から同46年まで)

昭和43年3月31日、控訴人は、甲物産本店勤務となったため帰国し、○○の家で母親と同居していたが、その頃、控訴人は、仕事が多忙なせいもあって、非常に神経質で些細なことで被控訴人にあたるようになった。

5  シンガポール赴任の時期(昭和46年から同51年まで)

控訴人は、昭和46年10月1日、甲物産シンガポール支店勤務となり、先ず単身で赴任し、被控訴人、美和子及び功平は、同47年3月にシンガポールに移住した。

この頃、被控訴人がストレスから膣炎にかかり、控訴人との性交渉を拒んだことから言い争いとなり、控訴人は、激昂して被控訴人の臀、背中を皮のベルトで殴打するという暴行を加えたことがあった。

6  帰国後乙鉄工所入社まで(昭和51年3月頃)

昭和51年3月、控訴人は、甲物産本店勤務となり、家族ともども帰国したが、被控訴人に十分な説明をせずに同社を退社し、同年4月1日、乙鉄工所に入社した。被控訴人は、このような重大なことを十分な説明することなく独断専行する控訴人の態度に強い疎外感を抱くようになった。

ところで、被控訴人は、カイロに在住している頃から、被控訴人の健康を心配した控訴人の勧めでゴルフを始めたが、シンガポール滞在中から熱中したこともあって腕前もかなり上がった(シンガポール帰国直後には、ハンデ12、平成2年でも16)ため、あちこちのゴルフ場でプレーをするようになり、毎年50回以上ゴルフ場に出掛けていた。ただし、その大部分は、メンバーとなっている松カントリークラブでのプレーであった。

7  乙鉄工所勤務からサウジアラビヤ赴任まで(昭和51年4月から同59年3月まで)

昭和54年に、控訴人らは、○○の住宅の建替工事を行い、同年7月頃には右工事が終了し、また、その頃、○○○の貸家を壊して駐車場として造成したが、控訴人の出張が多く(乙鉄工所勤務後サウジアラビヤに赴任するまでの間の海外出張は、合計20回であった。)、留守がちだったため、これら改築工事、造成工事等は、被控訴人が専ら折衝に当たっていた。

その頃、控訴人は、被控訴人の態度が気に入らないと言って、被控訴人が台所で熱湯の入ったやかんをガス台から降ろそうとしているところを殴ったことがあり、そのため、被控訴人は、足に熱湯を浴びて火傷を受け、病院に運ばれたこともあった。

控訴人は、昭和56年頃からサウジアラビヤへの赴任状態の長期出張が続き、さらに同58年1月25日から約1年間乙鉄工所サウジアラビヤ室長としてリアードに単身赴任した。

被控訴人は、これまで、控訴人の神経質で独断的行動や、家庭に対して非協力的な態度に内心不満、不信の念を持っていたものの、控訴人の在宅時間が少ないこともあって、両者の対立はさほど表面化することはなかった。

他方、被控訴人は、昭和57年暮頃から控訴人との性交渉を一切拒否していた。控訴人は、サウジアラビヤ赴任後も、4回ほど帰国したが、帰国の度に被控訴人の対応が冷たくなる感じがしていたし、昭和58年秋頃には、何度自宅に電話しても、被控訴人との連絡が取れないため、このままでは家庭崩壊に繋がることを心配し、退職覚悟で帰国を急ぐこととした。

この間、昭和58年頃の正月、サウジアラビヤから一時帰国していた控訴人と被控訴人は、おせち料理の鳥肉のことから口論となり、控訴人は、激昂して、被控訴人の右耳付近を2、3回殴打し、このため、被控訴人は、2、3日間右耳が聞こえなくなったことがあった。

8  帰国後、乙鉄工所嘱託となった頃までの経緯(昭和59年5月から同年12月頃まで)

控訴人は、昭和59年5月にサウジアラビヤから帰国すると、会社を設立して新しく自営業を営む準備作業のため、同年7月15日乙鉄工所を退社し、同社の嘱託となった。被控訴人は、控訴人から退社について事前に十分な相談もなく、新しく始めるという情報関係の会社についても十分な説明がないことに不満を抱いた。その後、控訴人は、家にいることが多く、精神的に不安定な状態にあり、些細なことで被控訴人や子供達にあたり散らすようになった。

被控訴人は、同年夏頃から家庭内別居に踏み切り、その後別居に至るまで控訴人と同じ寝室を使うことはなかった。

その頃から、被控訴人の無断外出、遅い帰宅が続いていたこともあって、同年10月頃、被控訴人のゴルフからの帰宅が遅かったことから口論となり、被控訴人が「この家を出たい」と言うと、控訴人は、「気に入らなければ出ていけ、何もかも置いて出ていけ」と言って被控訴人を追い立て、鍵をかけて被控訴人を締め出した。被控訴人は、公衆電話から電話をかけ、控訴人に「すみません、鍵を開けて下さい」と詫びたが、控訴人は、「うちにはそんな奴は居ない」と言って、電話を切った。被控訴人は、止むなく○△市の被控訴人の実家に行き、一晩を明かした。

被控訴人は、翌日両親の説得もあり帰宅したが、この頃から控訴人と離れて暮らしたいと強く思うようになった。

9  別居に至る経緯

控訴人は、昭和59年10月27日から同年11月10日までアキレス腱切断で入院したが、新会社設立に忙殺されていた時期でもあり、体が自由にならないもどかしさから、非常に精神状態が不安定になった。他方、控訴人の入院中は、被控訴人も看護や、会社設立手続等に協力していた。

しかし、控訴人は、入院中、自宅に電話しても、被控訴人との連絡が取れないことがあったりしたため、被控訴人の行為に不信を強く抱いていた。

昭和60年1月中、控訴人は、功平がギターを買って貰ったときの約束を守らなかったことを強く非難し、功平と口論となった際、激昂して、手近にある雑誌や、木彫りの物入れ等を次々と功平の身辺に投げ出したうえ、深夜にもかかわらず功平に「出ていけ」と言ってきかなかったため、被控訴人は、功平を連れてタクシーで○△の実家に身を寄せた。事態を心配した大沢は、翌日被控訴人らを同道して控訴人を訪ね、話合いをしようとしたが、控訴人は、話合いに応じようとしなかった。

また、その前後頃から、被控訴人は、控訴人のための掃除洗濯をしなくなり、遅く帰宅する控訴人のための食事を作らなかったり、作っても、高血圧症のため減塩食事に気を配っていたこれまでのものと異なり、通常の塩分のものしか作らなかったりしたため、控訴人は、自己の下着の洗濯をしたり、外食したりしていた。この結果、ますます帰宅が遅くなる控訴人が大きな音を立てて帰宅するため、被控訴人や、子供らは、耳栓をして寝るような状況が続いていた。

ところで、控訴人は、シンガポールから帰国した頃から毎晩寝酒を飲むようになり、さらに、昭和59年頃からは深酒をするようになり、夜中にウィスキーが切れると、眠っている被控訴人らに対して「てめいらのふしだらに使う金はあってもウィスキーを買う金もないのか」と大声で怒鳴って、座布団や本を投げたりした。

被控訴人は、このような控訴人の態度に、肉体的にも精神的にも限界に達し、控訴人との離婚を決意し、控訴人がヨーロッパ旅行中である昭和60年3月10日、子供らと共に別居に踏み切り、以来現在まで別居状態が続いている。

被控訴人は、別居に際し、自己名義の松のゴルフ会員権証書、控訴人名義を含む原判決別紙債券目録記載の債券類等を持ち出した。

10  別居後の状況

昭和60年4月頃、被控訴人の友人の仲介により、控訴人と被控訴人は○○○○○○ホテルで話合いの機会を持ったが、控訴人は、高圧的で、従来の生活態度を反省する素振りを全く見せず、被控訴人も離婚の意思を固持して控訴人との同居を拒絶したため、話合いは不調に終わった。

また、被控訴人は、同年10月17日、東京家庭裁判所に離婚調停を申し立て、その際には、財産分与、慰謝料の支払や、功平の養育料の支払等も求めていたが、双方の従前の意思態度は変わらず、調停成立の見込みがなかったため、昭和61年6月5日、調停申立てを取り下げた。

その間、昭和61年3月1日には美和子が松下大介と婚姻した。この結婚式には、控訴人は出席せず、その婚姻費用は、美和子名義のB債券を売却して賄った。

ところで、昭和60年10月初旬頃から、控訴人代理人○○○、○○○等の名前で、被控訴人、美和子、別居後結婚した美和子の夫の父親である松下慎介等に宛てて、控訴人しか知らない事実や、虚構を取り混ぜた文書が送付されたり、深夜に無言電話が頻繁にかかったりした。被控訴人は、これらは控訴人が嫌がらせに送付したものであり、控訴人の陰険な性格を表すものであると考え、控訴人に対する嫌悪の念を一層深め、控訴人との婚姻を継続する意思を全く失った。控訴人は、右書面については、その送付前後に内容、送付の事実を知っていたが、何らの対応をする必要は感じておらず、右書面を控訴人の知人が勝手に作成して送付したものと述べているが、被控訴人は、これを疑い、控訴人が送付したものと確信していた。

11  その他の事情

控訴人は、婚姻継続の意思を表明していたが、被控訴人が自ら反省して持ち出した財産を返し、帰ってくれば婚姻関係は修復されるものとし、従前の自己の言動等に反省すべき点はないとしている。

被控訴人は、現在、他人から賃借している建物に功平と一緒に居住し、教材販売のセールス、保険の外交員等を経て、友人の経営するホテルに勤務しており、控訴人から生活費の支弁を受けておらず、自己の収入と持ち出した資産の売却等で生計を維持している。別居当時、功平は高校1年在学中であり、その在学中から浪人中を含め少なくとも3年以上の学資を含む養育費は、被控訴人が負担した。

他方、控訴人は、乙鉄工所退社後、各種技術、技術情報の売買及び斡旋、損害保険代理店業、不動産業等を目的とする新会社設立の準備のために、関係者との折衝、講習会参加等に毎日遅くまで走り回っており、昭和59年11月8日には株式会社○○○・○○○○の設立登記をし、翌60年4月から本格的な活動に入る予定で準備作業をしていた。この会社では、取締役として、控訴人、被控訴人及び志賀忠雄が、監査役として島村敏恵がそれぞれ就任し、その当初の資金繰は、銀行からの借入れのほか、被控訴人名義の松カントリークラブ会員権や、被控訴人、功平、美和子及び控訴人の各名義の有価証券類の売却代金を予定していた。しかし、その会社の活動が軌道に乗る前に被控訴人の家出、事業資金の一部として売却を予定していたゴルフ会員権、有価証券類の持出しがあったため、控訴人は、会社経営の意欲をなくし、新しい事業活動を行わないままに推移し、その後、所有する○○○の駐車場の賃貸料等で生計を維持している。

なお、控訴人が、本件提訴に先立ち、被控訴人名義のゴルフ会員権の名義変更、被控訴人が持ち出した債券類の金額に相当する損害賠償などを求めて訴えを提起していた(この事実は、当裁判所に顕著である。)。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、被控訴人は、控訴人の性格、生活態度、言動等に強い不満と嫌悪の念を抱き、控訴人との軋轢に耐えられず、離婚を決意して別居したもので、現在まで離婚の意思は全く変わらず、他方、控訴人は、婚姻継続の意思を表明しているが、自らの言動に反省すべき点はないとして婚姻関係修復のための真摯な努力をしておらず、控訴人及び被控訴人の9年以上に及ぶ別居期間中何ら関係改善の兆は見られないばかりか、控訴人が被控訴人の不貞を疑うに至っている状況に鑑みると、控訴人、被控訴人間の婚姻関係は、既に破綻し、回復し難い状態にあるものと言うべきである。

二  控訴人の主張について

1  控訴人は、婚姻関係の破綻が、被控訴人の性交渉の拒否、家出、話合いの拒否など専ら被控訴人の責めに帰すべき事由によるものであるから、被控訴人からの離婚請求は許されない旨主張する。

前記認定の事実によれば、控訴人、被控訴人間の婚姻生活は、控訴人が乙鉄工所を退職してリアードから帰国した昭和59年5月頃までは、表面上は一応平穏であったが、被控訴人は、かねてから、控訴人が神経質、自己中心的で、何事も独断専行するとして耐え難く感じており、控訴人が退職して帰国し、在宅時間が長くなり、しかも、新しい事業の開拓や、被控訴人との性格不調和などから精神状態が不安定となり、軋轢が重なるに連れ、耐えきれなくなって、離婚を決意し、別居に踏み切ったものであるが、右別居に至る経緯を見ると、苛酷な単身赴任から帰国して間もない控訴人の精神状態等に対する思いやりの不足や、性的関係の拒絶、関係修復のための十分な話合いもしないまま、やや唐突に別居したこと、別居後私的な話合いの場でも、家庭裁判所の調停の席でも、強く離婚を主張して譲ろうとする姿勢を取っていないなど、被控訴人の対応にも首肯し難いところがあり、婚姻関係破綻について、被控訴人にも相当の責任があることは否めない。

しかし、前記認定の事実及び右認定に供した証拠によって認められる、控訴人の真面目ではあるが、プライドが高く、神経質、自己中心的で、自分が決めたことを周囲の者に要求し、周囲の者が率直に従っている限りは、控訴人なりの思いやりと、優しさを見せるものの、周囲の者が反発したり、異なる意見を述べたりすると、相手の意見に耳を傾け、理解しようとはせず、激昂して相手をやり込めないと気が済まない性格、言動が、婚姻関係悪化の重大な原因であることは明らかであり、被控訴人の行動、態度も、控訴人の右性格、言動等に照らし、控訴人と話合いをしても関係改善が期待できないと考えたことの顕れと見ることができる。現に、控訴人は、被控訴人が反省し、帰宅しさえすれば関係が修復されるとして、控訴人側には婚姻関係を悪化させる要因があったことを全く否定する態度に終止しており、自ら真摯な関係修復の努力をしようとの姿勢を示していないのであるから、被控訴人が控訴人に話合いの機会を持ちかけたとしても、容易に関係修復の見込みはなかったものと推認される。したがって、被控訴人の右言動、態度を一方的に非難することはできない。

以上によれば、控訴人、被控訴人間の婚姻関係の破綻については、専ら、あるいは主として被控訴人に責任があると言うことはできないから、被控訴人が有責配偶者であるとする控訴人の主張は失当であり、採用することができない。

2  控訴人は、被控訴人に不貞行為があり、被控訴人の首肯し難い行動、強い離婚の意思もそのためであると主張し、それを推測させるものとして書証(乙三七、七○、七一の1、2、七八、八七の1ないし3)を提出している。それらの内容は、被控訴人が、昭和57年以前から、大野竜二と不貞関係にあったことの間接的事実に触れるものであるが、いずれも、推測事実にすぎず、客観的な裏付けを欠いており、いずれも証拠として採用することができない。確かに、被控訴人も、原審及び当審の本入尋問の際や、甲五一号証中において、大野ら男性と一緒にゴルフを行ったこと、それらの男性とゴルフをするため、女性友人と共に、外泊をしたことも認めているが、的確に不貞行為があったことを認める証拠はない。もちろん、他の女性友人も同行しているとはいえ、男性とのゴルフのため外泊し、その事実を夫に内緒にしていることは、夫婦間では異常な状態であり、不貞行為の存在を夫が疑うことも無理からぬことではあるが、被控訴人のゴルフの腕前(最高ハンデ12、現在でも16)の者にとっては、男性とのゴルフや、外泊を伴う新たなゴルフ場でのプレーを望むことも首肯できないではなく、単に男性と一緒にゴルフをしたと言うだけで不貞行為があったと推認することはできないところである。そして、他に、被控訴人の不貞行為を認めるに足りる証拠はない。

したがって、被控訴人が有責配偶者であるとの控訴人の主張は失当であり、採用することができない。

三  よって、被控訴人の離婚の請求は理由がある。

第二財産分与について

一  控訴人、被控訴人、あるいは功平、美和子名義の財産について、夫婦の共有財産であるのか、それともそれぞれの特有財産であるかについて争いがあるので、夫婦の財産形成過程における生活状況を、まず概観するに、証拠(甲二○、四五、四六、五○、五二、乙二、二一、二三、二六の1ないし3、四八、五四、五五の1ないし81、五七ないし六○、六三、六四、六五の1、2、六八の1ないし4、七八、七九、八一、八二ないし八四の各1ないし3、八五の1、2、原審の被控訴人、原審及び当審の控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右証拠のうち、次の認定に反する証拠は、信用し難い。

1  控訴人は、実父志賀典範(以下、「典範」という。)の資金により被控訴人との婚姻前から株式投資を行っており、婚姻当時も、鶴技研株や、巳株等を所持していた。

また、典範は、昭和29年2月12日、中野区○○○×丁目の土地2筆及びその上の建物1棟を控訴人名義(その土地上の1棟は典範名義)で、また、昭和35年頃、中野区○○の建売住宅と借地権を控訴人名義(ただし、建物の2階部分は姉島村敏恵名義)で購入した。

典範は、昭和35年頃脳溢血で倒れ、以後弁護士活動はできず、同人の所持していた金融債、投資信託等の管理は控訴人に委ねられていたが、控訴人は、昭和41年の典範の死去に際して、その大部分を換金して、姉妹及び弟に遺産分割分として渡したものの、自己名義の株式については引き続き所持していた。

2  婚姻当初からカイロへ転勤する昭和40年末頃までの期間は、甲物産からの収入は少なく、美和子の出生や、生活も質素と言うほどでなかったこともあり、給与収入の中から蓄財に回す余裕はなかった。

3  カイロ在勤中は、海外勤務手当もあり、また、借家の家賃も会社負担のため、多額の給与収入を得ていたが、日本車の購入や、支給される家賃額で賄えない高級住宅の借家、使用人の雇用、ゴルフ等の遊興使用などのため、蓄財に回せる余裕は余りなかった。

4  カイロから帰国し、甲物産本社勤務の間は、収入も増加したが、功平の出生、美和子の成長に伴って教育費等が膨らみ、また、被控訴人らもゴルフ等の遊興費を多額に使っていたため、給与収入から蓄財に回る余地は少なかった。

この間に、昭和44年1月20日に桜カントリークラブの会員権を、同年3月13日に梅カントリー倶楽部の会員権を、いずれも控訴人名義で購入した。

5  シンガポール在勤中は、カイロ在勤の場合と同様に、海外勤務手当もあり、また、借家の家賃も会社負担のため、多額の給与収入を得ていたが、支給される家賃額で賄えない高級住宅の借家、使用人の雇用、ゴルフ等の遊興使用などのため、蓄財に回せる余裕は余りなく、かえって現地の己銀行に多額の借越の借財を残して帰国する状態となっていた。

この間に、昭和48年1月19日に○○○○別荘地(代金795万円)を控訴人名義で購入した。

6  控訴人は、甲物産退職により約500万円程度の退職金の支給を受けたが、シンガポール時代の借金の清算、帰国後早々の家の模様替え、衣類及び自動車の購入等のため、受け取った退職金のうち、蓄財に回る部分は少なかった。

控訴人の乙鉄工所勤務後の給料は、甲物産時代に比べ少なく、当初税込で月35万円であり、その後徐々に月給が増え、控訴人の税込の年収額は、昭和52年から昭和57年にかけて、約640万円から約780万円と増加していった。しかし、昭和54年4月頃からは、中野区○○の建物の新築の借入金の月々の割賦弁済金(住宅貸付分が2万2425円、ホームローン分が2万3519円、年金住宅貸付金分が4万3000円前後。ただし、年金住宅貸付金関係の返済は昭和55年2月からである。)が控除されるようになったため(このほかの月々の定期的控除として、税金、社会保険料、生命保険料のほか、住宅預金2万円及び持株会控除1万円がある。)、月々の手取り給与は25万円を下回っており、また、子供の成長に伴う教育費の増加、控訴人及び被控訴人のゴルフ等の遊興使用の増加、月3万3500円を超える住宅金融公庫の借入金関係の返済などのため、月々の給与だけでは生活費が不足する状態にあり、その不足分は、年2回のボーナス、控訴人が所有する○○○の駐車場の賃料収入等によって補填されていた。

ただ、この間には、控訴人は、年に数回の長短期海外出張(昭和51年から昭和57年末までに合計20回)があり、海外出張から帰国した際に、余った金を50万円とか、100万円ずつ被控訴人に渡していた。

なお、この間、昭和51年5月24日に桐カントリークラブ会員権(代金400万円)を控訴人名義で、同年6月15日に松カントリークラブの平日会員権(代金340万円)を被控訴人名義で、昭和54年6月14日には松カントリークラブの正会員権(代金790万円)を被控訴人名義で、それぞれ購入し、また、控訴人は、昭和54年3月から7月にかけて中野区○○の建物の建替工事を行った。この建替工事費用は約2300万円(賃貸借更新料及び解体費用、姉島村敏恵への補償料を含む。建築費は約1750万円であった。)であったが、この費用は、手許現金、有価証券売却代金のほか、住宅金融公庫(取扱店は丁信用金庫午支店である。)からの借入金560万円、○○○○事業団からの借入金500万円、乙鉄工所からの借入金600万円(300万円2口)により賄われた。さらに、昭和54年頃には、○○○の土地上の建物を壊して駐車場として造成したが、これには、賃借人に対する明渡料の支払や、解体、造成費用等で約470万円を要した。

7  昭和58年1月末から昭和59年4月までのサウジアラビヤ勤務時代の給与は、海外で給与が支払われたため、控訴人が月々、戊銀行申支店の控訴人名義口座(以下、単に「申支店口座」という。)に海外から貰った給与の一部を振り込み、あるいは一時帰国した際に持ち出した金を同口座に入金し、被控訴人がカードによりそこから生活費を引き出すこととしていたが、月1回の定期的な送金は、やはり25万円を下回ることが多く(社会保険料、住民税、生命保険料、貸付金の割賦弁済金、住宅預金、持株会の控除が行われたことによる。)、不定期に入金される金(控訴人が一時帰国の際入金した金は昭和58年4月27日及び同年7月26日の各60万円、同年10月5日の40万円であり、海外からの送金部分が同年7月1日の81万7212円、同月6日の83万2005円、同年12月6日の19万7939円、同月9日の94万4743円の合計約439万円である。)や、○○○の賃料収入(昭和58年中の賃料収入は130万4000円であり、昭和59年中の賃料収入は176万8000円である。)により生活費の不足を補う状態にあった。

8  控訴人は、サウジアラビヤから帰国した後の昭和59年7月15日に乙鉄工所を退職し、その後昭和63年1月末日まで同社の嘱託として同社から月10万円の給与の支払を受けていたが、社会保険料及び住宅貸付金の割賦弁済金の控除があったため、月の手取額は4万円程度以下であった。

なお、控訴人は、乙鉄工所退社に当たり、税金控除後の退職金361万9697円、住宅預金払戻金276万9785円の支払を受けたが、残ホームローン138万5285円、残住宅年金貸付金381万0133円及び渡航費清算36万0180円の支払をしたため、現金支給額は約83万円であり(その金は被控訴人に手渡した。)、そのほか、約140万円相当の乙鉄工所株の交付を受けた。しかし、退職時の乙鉄工所からの住宅貸付金の残高は225万円になっており、退職時の支給額では清算できなかったため、嘱託手当から控除されることとなり、昭和59年8月から同年12月まで月2万1225円、昭和60年1月以降毎月約7万9000円が控除された(したがって、被控訴人が別居した昭和60年2月末当時の負債額は、約198万6000円となる。この住宅貸付金に係る抵当権設定登記は、昭和62年7月25日解除を原因として、同月27日抹消されているが、同年6月末当時の残高は、計算上、72万1875円である。)。また、控訴人は、昭和59年8月6日、海外に蓄えていた預金を清算し、228万5700円を戊銀行酉支店の被控訴人名義口座(以下、単に「酉支店口座」という。)に海外から送金したほか、その頃、被控訴人は、控訴人から現金で300万円以上も受領した。さらに、住宅金融公庫からの借入に関しては、昭和62年7月27日に同月20日弁済を原因として抵当権設定登記が抹消されているが、元金については月3万3587円の割賦弁済の約定であったから、その支払が行われると、計算上、同年6月末現在の残元金は417万7506円である(なお、昭和60年2月末当時の残元本額は、501万9000円である。)。ただし、昭和59年8月頃被控訴人が受領した現金の額については争いがあるので、二において再検討する。

9  被控訴人は、家出するまでの間特段の収入はなく、家族の生計費を控訴人の給与収入及び賃料収入や、控訴人の資産の売却によって賄っており、二において検討する債券購入に関して大沢から贈与を受けたもののほか、本件において問題となっている資産関係については、大沢その他の者から特段の資産の譲渡を受けていない。

10  なお、控訴人が得る給与収入は申支店口座に入れられ、被控訴人がカードでその口座から現金を引き出したり、その口座から酉支店口座に振り替えたりして、その口座で電気・ガス・水道料等生活費の引落しをしていた。控訴人は、そのほかにも銀行口座を有していたが、被控訴人は、酉支店口座しか有していなかった。

以上の事実が認められる。

二  本件で問題となっている各財産の帰属関係及びその評価額について、双方の間で主張が対立している。

ところで、婚姻期間中に得られた収入等により夫婦のいずれかの名義又は子供名義で取得した財産は、夫婦の共有財産に当たるもので、財産分与の対象となることは明らかである。また、特有財産の換価代金と婚姻中に蓄えられた預金等を併せて取得した財産も夫婦の共有財産に当たるもので、財産分与の対象となるものであり、ただ、財産分与の判断をするに当たって、その財産形成に特有財産が寄与したことを斟酌すれば足りるものと言うべきである。もちろん、婚姻中に取得されたものであっても、親兄弟からの贈与や、相続による取得物あるいは婚姻前から所持していた物又はそれらの買替物は、それを取得した配偶者の特有財産であって、財産分与の対象となるものではないことは当然であるが、他の配偶者がその維持管理に貢献した場合には、その事情も財産分与に当たって考慮されなければならない。

したがって、そのような観点に立って、婚姻中に取得した個々の財産が各配偶者の特有財産であるか、それとも夫婦の共有財産に該当するかを判断するに当たっては、取得の際の原資、取得した財産の維持管理の貢献度等を考慮して判断しなければならないが、特段の事情が認められない場合には、夫婦の共有財産に属するものとして、財産分与の対象となるものと言わねばならない。

以下、個別に判断する。

1  不動産関係

右第二、一の1において認定したように、中野区○○○の本件土地は、控訴人名義で昭和29年2月に購入されたものであり、また、中野区○○の建物の底地の借地権は、昭和35年頃、やはり控訴人名義で購入されたものであり、贈与ないし相続により、控訴人がその権利を取得したものであるから、財産分与の対象とならないことは明らかである。婚姻後に控訴人名義で取得した不動産は次のものである。

(一) ○○○○別荘地  1400万円

第二、一の5において認定したように、○○○○別荘地を控訴人名義で購入したのは昭和48年1月19日であり、第一、一の5において認定したように、当時、控訴人はシンガポールに赴任中であった。

証拠(甲四五、四六、乙五の4ないし6、8ないし10、12、五一、原審の控訴人及び被控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、控訴人から依頼された別荘地の購入のため、沢山の土地を見て回ったり、不動産業者との折衝に当たったが、当時、土地の値上傾向があったため、控訴人の了解を得て、本件土地購入を決め、その契約締結及び登記手続を代行したこと、ところで、本件土地の購入代金は、約800万円であり、その支払の一部は、控訴人が従前から所持していた癸製作所の株式6000株を単価250円で売却して賄い、その余は手持の現金で支払ったことが認められる。

ところで、右手持の現金約650万円をどのようにして用意したかを直接認めるに足りる証拠はないが、第二、一の2ないし5で認定したような生計状況(特に、それまで給与から蓄財に回る余裕が余りなかったこと)に鑑みれば、その現金の大部分は控訴人が自己の資金で購入し、又は相続により取得した有価証券等を売却して予め現金を用意したものと推認されるところであり、乙二一号証中には、その金は藤カントリークラブ会員権の購入資金として手渡していたものを流用した旨の記述がある。被控訴人から控訴人への手紙(乙五号証の4等)の中で、約650万円について話題となっていなかったのも、予め用意されていたことを推認させる。

しかし、予め用意されていた現金が全て控訴人の特有財産の換価代金であったことを的確に認めることのできる証拠はなく、給料等による蓄えの部分がなかったと断定できないし、また、この○○○○の別荘地の購入に際しては、被控訴人が特段の貢献をしていることは前記のとおりであるので、この○○○○別荘地は、夫婦の共有財産と見るのが相当であり、ただ、購入代金の大部分が控訴人の特有財産の換価代金によったものと推認されることを財産分与に当たって斟酌する。

証拠(甲四七、乙五一、六二)及び弁論の全趣旨によれば、本件○○○○別荘地(大○○○○××××番××、同番××)の近隣の土地(大○○○○××××番××)の標準価格は、平成3年度が平方メートル当たり3万4500円であり、平成5年度が平方メートル当たり2万7700円であること、本件○○○○の土地は、奥まったところにある傾斜地であること、大手不動産会社の担当者も、坪当たり5万円以上での売却は容易ではないと指摘していることが認められ、これによると、この○○○○別荘地は、1400万円と評価するのが相当である。

(二) 中野区○○の建物  200万円

第二、一の6において認定したように、本件建物は、昭和54年に総額約2300万円をかけて建て替えられたものであるが、その工事費用は、手持の現金等のほか、住宅金融公庫からの借入金560万円、年金福祉事業団からの借入金500万円及び乙鉄工所からの借入金600万円で賄い、これらの借入金の返済は、給与収入等で行ったものであり、また、第二、一の8において認定したように、これら借入金の一部は、乙鉄工所の退社に当たり清算され、乙鉄工所からの借入金225万円と、住宅金融公庫からの借入金が残り、別居当時の乙鉄工所の住宅貸付債務が約199万円であり、住宅金融公庫の債務が約502万円であった。

右事実によれば、中野区○○の建物は、財産分与の対象となることは明らかである。そして、建築後の経過年数を考慮すると、別居当時の評価額は、建築費約1750万円の約5割に当たる900万円と評価するのが相当であるが、当時その建物に係る債務が約700万円あったから、財産分与の対象となる建物の評価額は、その差額である200万円と評価するのが相当である。

2 ゴルフ会員権関係

(一)  桜カントリークラブ及び梅カントリー倶楽部 870万円

第二、一の4において認定したように、これらの会員権は、昭和44年1月20日及び同年3月13日に控訴人名義で購入されたものである。

控訴人は、この代金がいずれも控訴人の特有財産の売却代金によったものである旨主張するが、それを的確に認定することのできる証拠はない(原審及び当審の控訴人本人尋問中の供述や、乙三七号証、七八号証中の記載には、それに沿う部分があるが、右部分だけで右主張を認定することはできず、そのほか、的確な証拠はない。)。確かに、第二、一の4において認定したような当時の生計状況に鑑みれば、これらの購入代金の大部分は、控訴人が所持していた株式等の特有財産の売却によるものと推認できるが、給与等による蓄えの部分が含まれていないと断定できない以上、この二つのゴルフ会員権は、夫婦共有財産と見るのが相当である。ただし、購入代金の大部分が控訴人の特有財産の換価代金によったものと推認されるので、この点を財産分与に当たって斟酌する。

これによると、この会員権は、財産分与の対象となるものであるところ、証拠(甲四四の1、2、五四)によれば、これらの会員権も、かっては、桜カントリークラブが410万円、梅カントリー倶楽部が1130万円で取引されていたことがあること、しかし、その後ゴルフ会員権の価格が暴落し、現在では、前者が200万円、後者が670万円程度でしか売却できないことが認められるから、それを斟酌すると、現在の価格は、桜カントリークラブが200万円、梅カントリー倶楽部が670万円と評価するのが相当である。

(二) 桐カントリークラブ 800万円

第二、一の6において認定したように、この会員権は、控訴人名義で昭和51年5月24日に400万円で購入されたものである。

控訴人は、この代金が控訴人の特有財産の売却代金によったものである旨主張するが、それを的確に認定することのできる証拠はない(原審及び当審の控訴人本人尋問中の供述や、乙三七号証、七八号証中の記載には、それに沿う部分があるが、右部分だけで右主張を認定することはできず、そのほか、的確な証拠はない。)。確かに、第二、一の6において認定したような当時の生計状況に鑑みれば、これらの購入代金の中には、控訴人が所持していた株式等の特有財産の売却によるものも含まれているものと推認できるが、他方、第二、一の6において認定したように、海外出張の際の余剰金がある程度纏まった金として被控訴人に渡される状況にあったというのであるから、それらによる預貯金等が購入代金の少なくとも一部を賄ったものと推認するのが相当であり、したがって、給与等による蓄えの部分が含まれていないと断定できない以上、このゴルフ会員権も夫婦共有財産に属するものと見るのが相当である。ただし、このゴルフ会員権の購入代金の中には、控訴人の特有財産の換価代金部分も存在したことが推認されるので、この点を財産分与に当たって斟酌する。

これによると、この会員権は、財産分与の対象となるものであるところ、証拠(甲四四の1、五四)によれば、この会員権も1500万円で取引されていたことがあること、しかし、その後ゴルフ会員権の価格が暴落し、現在では800万円ないし900万円で取引されていることが認められるから、それを斟酌すると、現在の価格は、800万円と評価するのが相当である。

(三) 松カントリークラブ(被控訴人名義) 2330万円

第二、一の6において認定したように、この会員権(代金790万円)は、被控訴人名義で昭和54年6月15日に購入されたものである。

ところで、証拠(乙二五、三一、原審の控訴人及び被控訴人、当審の被控訴人)によれば、その代金は、己銀行亥支店の功平名義の300万円の定期積金、同銀行徳支店の控訴人名義の当座預金60万円、申支店口座の普通預金165万円及び庚証券の被控訴人名義のC債券251万円等によって賄われたことが認められる。そして、別居に至るまで被控訴人が給与所得を得たことがないこと及び本件に関して被控訴人が大沢から贈与を受けたことがないことは第二、一の9において認定したとおりであり、これによると、功平名義の定期積金及び被控訴人名義のC債券も、控訴人の給与所得等を原資としていたものと推認される。

被控訴人は、この会員権は、控訴人から贈与を受けたもので、被控訴人の特有財産であると主張しており、被控訴人が贈与税の支払をしたことは証拠(甲二○、乙二、二七、原審の被控訴人)により認められるが、婚姻中に配偶者名義で購入したものは、仮に贈与税の支払をしたとしても、財産分与の関係では、特有財産とみなすことは相当でない。

他方、控訴人は、この会員権の購入資金の基となっている預金等は、全て控訴人の特有財産を換金したものである旨を主張するが、これを的確に認めるに足りる証拠はない(原審及び当審の控訴人本人尋問中の供述や、乙三七号証、七八号証中の記載には、それに沿う部分があるが、右部分だけで右主張を認定することはできず、そのほか、的確な証拠はない。)。確かに、第二、一の6において認定したように、その当時、給与収入だけでの生計維持はできなかったが、海外出張の際の余剰金がある程度纏まった金として被控訴人に渡される状況にあったというのであるから、それらによって購入代金の原資の一部となる資産を形成していたものと推認するのが相当であり、したがって、給与等による蓄えの部分が購入代金に含まれていないと断定できない以上、このゴルフ会員権も夫婦共有財産と見るのが相当である。ただし、このゴルフ会員権の購入代金の中には、控訴人の特有財産の換価代金部分も存在したことが推認されるので、この点を財産分与に当たって斟酌する。

これによると、この会員権は、財産分与の対象となるものであるところ、証拠(甲四四の一、五四)によれば、この会員権も3480万円で取引されていたことがあること、しかし、その後ゴルフ会員権の価格が暴落し、現在では、2330万円で取引されていることが認められるから、それを斟酌すると、現在の価格は、2330万円と評価するのが相当である。

(四) 竹カントリークラブ 0円

被控訴人名義の竹カントリークラブの会員権が存在することが弁論の全趣旨により認められるが、被控訴人は、本件会員権が他人のものであり、購入に際して被控訴人名義を貸したものにすぎず、返還(名義書換)を求められれば応じなければならない状態のものである旨主張し、原審及び当審における被控訴人本人尋問の際にも同旨の供述をしているし、甲四三号証、五一号証中にも同旨の記載がある。

しかし、証拠(乙二三、二四、四八、原審の被控訴人)によれば、この会員権購入の代金は、100万円であるところ、この購入の日である昭和58年1月17日にその代金相当の金額125万円が申支店口座から引き下ろされていること、同日、30万円が酉支店口座に入金されているが、同口座にその頃右金額の残額相当のものの入金はないことが認められる。また、その頃、その金額の残額相当の他の購入をしたことを的確に認めることのできる証拠もない。そうすると、特段の事情の認められない本件では、右控訴人口座から引き下ろされた金員は、本件会員権購入に充てられたことが窺われないではない。また、証拠(乙一、二二の2、原審の控訴人)によれば、離婚調停の段階及び本件離婚訴訟提起時点では、被控訴人も本件会員権が夫婦共有財産であると主張していたことが認められ、さらに、被控訴人が名義貸しにすぎない旨を主張するようになったのは、原審での被控訴人本人尋問後の平成4年2月であることは当裁判所に顕著である。そのような経緯によれば、被控訴人の主張は、にわかには信用し難いが、だからといって、名義貸しでなかったとの断定もできないので、このように権利関係に疑問があるものを夫婦の共有財産に該当するものとして、分与の対象とすることは相当ではない。

ただし、控訴人の口座から当時約100万円の引き下ろしがあり、被控訴人によるその使途が明確でない以上、それは、財産分与の割合を斟酌する上で考慮の対象となるものと言わざるを得ない。

3 債券(有価証券)関係

控訴人は、これら債券全部につきその購入の原資が控訴人の特有財産ないしその変形であるので、いずれも控訴人の特有財産である旨を主張し、原審及び当審の控訴人本人尋問の際の供述中や、書証(乙三七、七八)中には、それに沿う記述部分もあるが、これを的確に裏付ける証拠もないから、右供述部分及び記述部分は信用し難く、このほかこれを認めるに足りる証拠もないので、控訴人のこの点の主張を認めることができない。特に付加して説明するもののほか、各債券についての控訴人のこの点の主張に対する判断は、同じであるので、個別には触れないこともある。

また、控訴人は、後記認定される大沢からの送金による各債券購入に関して、いずれも、控訴人が大沢に預けていた株式等の売却代金等に該当するもので、大沢の贈与によるものではない旨主張し、控訴人の供述中や、書証(乙三七、七八)中には、それに沿う供述部分、記述部分があるが、大沢に株式等を預けていたこと又は送金されたものがその売却代金であることを的確に認める証拠がないから、右供述部分又は記述部分は信用し難く、このほかこれを認めるに足りる証拠はないので、控訴人のこの点の主張は認めることができない。各債券についての控訴人のこの点の主張に対する判断は、同じであるので、個別には判断しない。

(一)  債券番号(1)について

被控訴人は、債券番号(1)については昭和55年7月25日に大沢と同行して丙録行に行き、現金で購入して貰ったものであり、自己に帰属する特有財産であると主張し、それに沿う原審における被控訴人の供述及び書証(甲二○、二一)がある。

しかし、証拠(甲三四、乙九)によれば、昭和55年7月25日に功平名義で購入されたB債券210万円は、現金で支払われたこと、その直前の同月21日に庚銀行の控訴人名義の貸付信託受益証券194万円(これは、昭和51年4月23日に預け入れられたもの)が払い出されていることが認められるところ、この194万円に相当する金額が申支店口座若しくは酉支店口座又はその他の控訴人名義口座に入金していると認めることのできる証拠はないし、また、その頃、それに見合う程度の他の有価証券や、ゴルフ会員権等を購入したと認めるに足りる証拠もない。

他方、大沢が210万円をどのようにして用意したかを的確に認めるに足りる証拠はない。

このような客観的な金の流れによると、この功平名義のB債券は、控訴人の貸付信託の解約金を原資として購入されたものと推認するのが相当であり、これに反する被控訴人の供述及び前記各書証は信用し難く、このほか、右推認を覆すに足りる証拠はないから、この点に関する被控訴人の主張を認めることができない。

ところで、控訴人は、本件債券購入資金も控訴人の特有財産である旨を主張している。確かに、右に述べたようにこの債券購入資金が控訴人名義の貸付信託の解約によるものであると推認されるが、その預入金が控訴人の特有財産によるものであることを的確に認めるに足りる証拠もないので、控訴人の主張に沿う乙七八号証中の記述部分は信用し難く、このほかこれを認めるに足りる証拠もないので、控訴人のこの点の主張は認めることができない。

したがって、この債券は、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(二)  債券番号(2)及び(7)について

被控訴人は、債券番号(2)及び(7)については昭和55年8月23日に大沢から贈与された240万円で購入したものであり、自己に帰属する特有財産であると主張している。

証拠(甲二三、二四、乙二三)によれば、昭和55年8月26日に功平名義で購入されたB債券90万円(債券番号(2))及び被控訴人名義で購入されたB債券150万円(債券番号(7))は、いずれも現金で支払われていること、同月23日に酉支店口座に240万円の入金があり、同月26日に同口座から240万円が出金されていることが認められる。これによると、債券番号(2)及び(7)は、右240万円で購入されたものと推認される。

この240万円を大沢が送金した旨の書証(甲二○、二一、乙二)中の記述部分があるが、この金員を大沢が送金していたことを的確に認めるに足りる証拠がないから、この記述部分は信用し難く、このほか被控訴人の主張を認めるに足りる証拠もないから、この点の被控訴人の主張は認めることができない。

他方、控訴人は、これら債券購入資金も控訴人の特有財産である旨を主張し、書証(乙三七、七八)中には、それに沿う記述部分もあるが、これを的確に裏付ける証拠もないので、右供述部分は信用し難い。このほかこれを認めるに足りる証拠もないので、控訴人のこの点の主張は認めることができない。

したがって、これらの債券は、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(三)  債券番号(3)ないし(6)及び(8)について

証拠(乙七、一五、三九、原審における控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、債券番号(3)は満期日を昭和60年8月27日とする額面18万円のA債券(功平名義)、債券番号(4)は満期日を同年1月27日とする額面40万円のA債券(功平名義)、債券番号(5)は満期日を同年2月27日とする額面18万円のA債券(功平名義)、債券番号(6)は満期日を同年7月27日とする額面41万円のA債券(功平名義)、債券番号(8)は満期日を同年2月27日とする額面28万円のA債券(被控訴人名義)であるところ、これら各債券は、債券番号(1)、(2)及び(7)の利息を原資として購入したものであると認められる。したがって、債券番号(1)、(2)及び(7)が夫婦共有財産である以上、これらの利息を原資とする債券も、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(四)  債券番号(9)について

証拠(甲二二、三二、三五、乙二三、二四、四八)によれば、昭和58年1月17日に被控訴人名義で購入されたBワイド債券30万円(満期は昭和63年1月27日)は現金で購入されていること、同日、申支店口座から125万円が引き下ろされ、30万円が酉支店口座に入金されているが、当日その口座から30万円の出金はないこと、他方、申支店口座からは右のほか、前年12月末に31万円、昭和58年1月6日に10万円、同月10日に45万円、同月13日に10万円の出金があり、これに見合って酉支店口座に同月10日に35万円の入金があることが認められる。これによると、この債券の購入資金は、控訴人名義の口座から引き下ろされた昭和58年1月17日の125万円の一部又はそれ以前に引き下ろされた金員の一部によって賄われたものと推認される。

ところで、2の(四)において認定したように、当日には、竹カントリークラブの会員権の代金100万円相当の支出も行われているが、その頃、控訴人名義口座からの引き下ろされた金額の合計額は、221万円となるから、それからその頃被控訴人名義口座に預金された合計65万円を控除しても、右推認と矛盾するものではない。

被控訴人は、この債券については昭和58年1月17日に家計費から捻出した30万円で購入したものであるが、かって大沢から贈与を受けた30万円を家計費に費消していたので、この債券が自己に帰属する旨主張し、それに沿う被控訴人の供述部分及び書証(甲二○、二一、乙二)中の記述部分があるが、送金の時期と購入の時期との関連が希薄であるほか、右認定の経緯に照らし、右供述部分及び記述部分は信用し難く、そのほか被控訴人の主張を認めるに足りる証拠はないから、この点に関する被控訴人の主張は認めることができない。

したがって、この債券も、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(五)  債券番号(10)について

証拠(乙二、四七、四九)によれば、昭和59年8月1日に購入された債券(10)(功平名義)の購入代金60万0300円は、申支店口座から同年7月下旬頃引き下ろされた金員(合計84万7000円)によって賄われたことが認められる。

したがって、この債券も、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(六)  債券番号(11)(120万円中、60万円部分)、(13)、(15)及び(19)(150万円中、60万円部分)について

証拠(甲二○、二一、二七ないし三○、四三、乙四七)によれば、昭和57年3月1日、己銀行信支店の大沢クラノスケ名義の口座から、控訴人、被控訴人、功平、美和子名義の壬証券の各口座にそれぞれ58万1843円が送金されたこと、被控訴人は、同日、それを用い、それぞれ各人名義で60万円の国債を購入したことが認められる。

右認定事実によれば、債券番号(11)(120万円のうち、60万円相当部分)、(13)、(15)及び(19)(150万円のうち、60万円相当部分)については、大沢の被控訴人ないし功平、美和子に対する贈与によるものであり、その贈与が各人名義に分散して債券が購入されたのは、贈与税の非課税枠を考慮したものであり、いずれも実質的には被控訴人ないし功平、美和子に対する贈与であると解するのが相当であり(控訴人名義のものは、被控訴人に対する贈与と認めるのが相当である。)、いずれも、夫婦の共有財産と認めることは相当でない。

ところで、証拠(乙四七)によれば、債券番号(13)(控訴人名義)は、昭和60年3月8日に、債券番号(12)とともに売却されたこと(債券番号(12)分が142万9956円、債券番号(13)分が61万5264円)、その代金に見合う207万円が同月22日に一旦壬証券の債券取引の被控訴人名義口座に入金され、中国ファンドの購入がされていることが認められる。これによると、右207万円は、右各国債の売却代金を原資とするものと推認するのが相当である。

(七)  債券番号(11)(残りの60万円部分)ついて

証拠(甲三三、乙二、一五、二三、四七、四八、五○、原審の控訴人)によれば、債券番号(11)の債券(功平名義)の残り60万円相当の国債は、昭和58年7月25日に58万9989円で購入されたものであるところ、その支払は戊銀行戌支店への送金により決済されたこと、同日、申支店口座から合計75万円が出金されていること、同日、酉支店口座にそれに見合う金額の入金がないことが認められる。

これによると、この債券は、申支店口座からの引き下ろした金員で購入したものと推認される。甲二○号証及び二一号証中には、大沢がこの購入代金を被控訴人に送金し、それで本件債券を購入した旨の記述部分があるが、被控訴人名義口座にそれに相当する金員の入金及び出金があったことを認めることができないので、右記述部分は信用し難く、このほか、右認定を覆すに足りる証拠はない。

したがって、この債券も、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(八)  債券番号(19)(残りの90万円部分)について

証拠(甲二二、三一、四三、乙二三、四七、四八、五○)によれば、昭和57年10月1日に被控訴人名義で購入された国債の購入代金86万0619円は、戊銀行からの送金により決済されていること、同年9月下旬頃、申支店口座から合計136万円が出金していること、他方、酉支店口座には、その頃その金員に見合う出金はないことが認められ、この認定事実によれば、この90万円の国債は、申支店口座から引き下ろされた金員によって購入されたものと推認するのが相当である。原審の被控訴人の右推認に反する供述部分及び甲二○号証及び二一号証中の記述部分は信用することができない。

したがって、この債券も、控訴人、被控訴人夫婦が婚姻中に形成した財産と見るのが相当である。

(九)  債券番号(12)について

被控訴人が昭和59年8月上旬頃、サウジアラビヤ赴任の際の清算金として現金300万円以上を受領していたことは、第二、一の8において認定したとおりであるところ、証拠(乙二、二三、二六の3、四七、四九、原審の控訴人及び被控訴人)によれば、昭和59年8月7日に控訴人名義で購入された債券番号(12)の国債の代金139万2720円は、戊銀行からの送金により決済されたこと、申支店口座及び酉支店口座にはそれに相当する出金の記録はないこと、その頃控訴人から手渡された300万円以上の現金に見合う金員が申支店口座及び酉支店口座に入金したことの記録がないことが認められる。

これによると、本件国債は、その購入時期からして、控訴人から手渡された現金を原資として購入されたものと推認するのが相当である。

そして、手渡された現金の性質に鑑み、この国債は、夫婦の共有財産であると認められる。

ところで、昭和60年3月8日にこの国債は142万9956円で売却され、壬証券の被控訴人名義口座に入金された後、出金されていることは、(六)において認定したとおりであるが、財産分与の計算の上では、存在するものとして計算するのが相当である。

(十)  債券番号(14)について

証拠(乙二、二三、二六の3、四七、四九、原審の控訴人及び被控訴人)によれば、昭和59年8月7日に美和子名義で購入された国債の購入代金59万6880円は、戊銀行の控訴人名義口座からの送金により決済されたこと、申支店口座及び酉支店口座にはそれに相当する出金の記録はないこと、同月17日に美和子名義で購入された国債の代金39万7920円は現金で決済されているが、申支店の控訴人名義口座及び酉支店口座にそれに見合う出金の記録はないことが認められるところ、控訴人が同月4日の直後頃、サウジアラビヤ赴任の際の清算金の一部として被控訴人に現金300万円以上を手渡したこと、申支店口座及び同録行酉支店口座にその頃それに見合う金額の入金がないことは、右(九)及び第二、一の8において認定したとおりである。

これによると、本件国債は、その購入時期からして、控訴人から手渡された現金を原資として購入されたものと推認するのが相当である。

そして、手渡された現金の性質に鑑み、この国債は、夫婦の共有財産であると認められる。

甲二○、四三号証中には、昭和59年8月17日に美和子名義で購入した国債は、同人がアルバイトで得た収入を原資として購入した旨の記述部分があるが、アルバイトで得た金で国債を購入すると言うのは不自然であり、そのような金員が購入代金の一部になっていたとしても、購入代金の大部分は控訴人から被控訴人に渡された金員によるものと推認されるので、甲二○及び四三号証中の右記述部分は信用し難く、そのほか右認定を覆すに足りる証拠はない。

(十一)  債券番号(16)及び(17)について

証拠(甲二○、二一、二五、二六、四一、四三、乙四七)によれば、大沢は、昭和56年11月13日、同人の長男達夫名義の辛銀行智支店の口座から104万0116円を引き出し、壬証券仁支店に持参したこと、被控訴人は、同日、その金員により、功平、美和子名義で国債を各60万円分ずつ購入したことが認められる。

本件購入に関しては、他の大沢からの贈与の場合と異なり、送金の方法によっていないが、金額が端数まで合っているし、購入の際の計算書(甲二五、二六)上も預り金として決済されているので、他の方法と異なることだけで、右認定を覆すことはできない。

右認定事実によれば、これらの債券は、大沢から被控訴人ないし功平、美和子への贈与と認められ、これらの債券は、夫婦共有財産と認めることができない。

(十二)  債券番号(18)について

証拠(甲四三、乙二、四七)によれば、大沢は、昭和56年8月18日、己銀行礼支店から同銀行義支店にある壬証券の口座に127万8848円の送金をしたこと、被控訴人は、同日、その送金された金員を原資として被控訴人名義で債券番号(18)の国債(60万円と90万円)を購入したこと、同銀行礼支店は大沢が使用していた銀行であることが認められる。

これによると、本件国債は、大沢の被控訴人に対する贈与された金員で購入されたもので、被控訴人の特有財産であると認めるのが相当である。

(十三)  債券番号(20)について

第二、一の8において認定したように、控訴人は、昭和59年8月6日に海外赴任の際の清算金228万5700円を酉支店口座に送金していたところ、証拠(甲三六、乙二三、四七、原審の被控訴人)によれば、同年10月4日に同口座から250万円が出金されたこと、同日、壬証券の被控訴人名義口座に250万円の送金があり、それで中国ファンドを購入したこと、そのうち、149万6789円が昭和60年2月22日に売却されたこと、この売却代金のうち、約100万円が控訴人のヨーロッパ旅行の際の費用として控訴人に渡されたことが認められる。したがって、被控訴人が別居した当時、約93万円の中国ファンドが存在した。

右の経緯によれば、本件債券も、控訴人の給料により購入されたものと推認され、夫婦の共有財産と認めるのが相当である。

(十四) その他

(1)  証拠(乙二、一四、原審の被控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人が別居した当時、被控訴人は、以上のほか、美和子名義の130万円のB債券を所持していたこと、そのB債券は、昭和58年7月末に満期となった壬証券の投資信託136万円余が原資となったこと、その債券は、美和子が婚姻した際の費用に充てるため売却されたことが認められる。

そうすると、本件債券も、夫婦の共有財産とみなすべきものであるところ、それは美和子の婚姻費用に充てられたというのであるから、この債券は、財産分与に当たっては考慮しないのが相当である。

(2)  (四)において認定したように、債券番号(9)の被控訴人名義のB債券は、昭和58年1月17日に購入されたもので、満期を昭和63年1月27日とするものであるが、証拠(乙一五)によれば、被控訴人は、昭和59年秋頃、夫婦が所持している有価証券類を控訴人に告げた際に、満期を昭和60年8月27日とする金額31万円の被控訴人名義のA債券があると告げたことが認められる。

右認定によると、債券番号(9)のB債券と右A債券とは、額面金額が異なるだけでなく、満期日も異なるので、別のものと推認される。そして、右A債券とその他のA債券と間違えた可能性もあり得ないではないが、満期日を同じくするA債券は存在しないし、金額、満期日等は債券の計算書等が存在しなければ内容を把握できない事項であるから、他のものと混同した可能性は低い。してみると、この31万円のA債券も存在したものと認めるのが相当である。

してみると、財産分与に関しては、このA債券31万円も存在するものとして斟酌するのが相当である。

そして、本件A債券については、特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、これも夫婦の共有財産と認めるのが相当である。

(3)  証拠(甲二二、三八の1ないし3、乙一二、一三の1、2、二三)によれば、被控訴人は、昭和57年7月24日に庚証券智支店で被控訴人名義の株転社ファンドを70万1400円で売却し、被控訴人名義でD債券60万円を購入し、残額10万1400円の支払を受けたこと、また、昭和58年4月9日に同支店で被控訴人名義の大型ファンドの償還金62万1598円の支払を受けたこと、申支店口座及び酉支店口座にはそれに見合う入金の記録がないことが認められる。

しかし、右D債券が別居時まで存在していたことを的確に認めることのできる証拠はない。また、大型ファンドの償還金も別の債券等に変形された可能性もあり得るが、これを的確に認定することのできる証拠もない。

ところで、乙二三号証によれば、昭和60年1月19日に酉支店口座に70万円の入金があったことが認められるところ、原審における本人尋問の際に、被控訴人は、その金を中国ファンドから出したものと供述しているが、壬証券仁支店の口座にはそれに対応する出金の記録はない。この供述が正しいとすれば、被控訴人は、壬証券仁支店以外に中国ファンドを有していたこととなり、右70万円は、D債券又は償還金の変形としての中国ファンドの可能性があるが、断定ができないので、これは、財産分与に当たって斟酌するに留める。

(4)  なお、弁論の全趣旨によれば、被控訴人が家出の際に持ち出した有価証券類は、殆どは処分されて現存していないことが認められるので、財産分与の計算の上では存在するものとして計算するが、分与に当たっては、金額を定めるに留めることとする。

4 宝石類関係 80万円

証拠(甲二○、四八、四九)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、家出の際に、ダイヤモンドの結婚指輪及びシンガポールで購入したサファイヤの指輪を持ち出したこと、これらの指輪の平成4年4月当時の鑑定人の評価では、前者が46万円から138万円、後者が33万円から99万円の範囲内にあることが認められる。

控訴人は、被控訴人が高価なエメラルドを持ち出した旨主張するが、それを認めるに足りる証拠はない。

これによると、これら指輪は、夫婦の共有財産であり、合計80万円と評価するのが相当である。

5 株式関係 140万円

証拠(乙一一の1、2、四五の1、2、五七、六八の1ないし4、八○の1ないし5)及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、被控訴人との婚姻以前から株投資を行っており、相当数の株式を有していたところ、昭和55年5月頃には、保護預かりを依頼していたものとして、子シャッター株式を4390株、丑株式を357株、寅工業株式を100株、卯工業株式を1100株、辰株式を5000株(その後5500株に増加)、巳株を207株、その他の端株を有していたが、同月26日に子シャッター株式2000株を74万円余で売却したこと、控訴人は、保護預かりとしていない端株等も有していたこと、控訴人は、その後、所持していた株式を徐々に売却し、昭和61年2月上旬頃に残っていたのは、若干の端株と辰株式及び子シャッター株式であったところ、その頃、そのうちの子シャッター株式(その後3421株に増加)を約214万円で売却したこと、乙鉄工所退職時に取得していた乙鉄工所株約140万円相当分は、その後乙鉄工所からの住宅貸付を返済した昭和62年7月頃処分されたことが認められるが、これら株式のうち、乙鉄工所株以外の株式が婚姻後に取得されたことを的確に認めることができる証拠はない。

被控訴人は、これらの株式も夫婦共有財産であると主張するが、婚姻後に取得したことの証明がない以上、乙鉄工所株以外の株式を夫婦共有財産とすることはできないので、被控訴人の主張は、乙鉄工所株以外のものについては理由がない。

してみると、財産分与の対象となるのは、乙鉄工所株分だけであるところ、控訴人は、右認定のように、別居後、乙鉄工所からの住宅貸付の返済に際して売却処分しているが、住宅貸付債務を斟酌する以上、その株式も存在するものとして、財産分与に当たって斟酌するのが相当である。その処分額は、約140万円と推認される。

6 債務額 0円

第二、一の8において認定したように、控訴人が○○の建物建築に係る債務として、乙鉄工所に対する住宅貸付債務及び住宅金融公庫に対する債務を負っていたが、これは既に○○の建物関係で斟酌済みである。

このほか、控訴人及び被控訴人が別居当時、夫婦で負担すべき債務を負っていたことを認めることができない。

7 その他

(一)  控訴人は、被控訴人が別居に際し、高価な美術品、骨董品等を持ち出したと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  ○○○の土地が控訴人の特有財産であり、したがって、その利用による駐車場賃料も控訴人の特有財産に該当するところ、その賃料が夫婦の生計費の不足分に充当されていたことは、第二、一の6において認定したとおりである。この賃料によって形成された財産の存在を的確に認めることができる証拠はないが、そのような賃料収入が夫婦の財産形成に大きく貢献していることは容易に推認できるので、この点は、財産分与に当たって斟酌する。

(三)  証拠(乙二三、二六の2、三○、四八)によれば、被控訴人名義の松カントリークラブの平日会員権は、昭和56年4月30日、代金400万円で売却され、その代金は、同日、己銀行亥支店の控訴人名義口座に入金された後、同年5月1日に200万円、同月7日に100万円、同年8月22日及び9月18日に各50万円が引き下ろされたこと、その入出金の時期には、いずれも控訴人が海外出張中であったこと、申支店口座及び酉支店口座にその金員に見合う入金はないことが認められる。そして、それに見合う債券等を購入した事実を的確に認めることのできる証拠もない。

被控訴人は、原審における本人尋問の際に、それで国債を購入した旨供述しているが、それに見合う国債の購入を的確に認めることができる証拠がない(その出金時期に購入している国債は、3、(二)及び(三)において認定しているように、大沢の送金による。)から、右供述を信用することはできない。そうすると、本件で問題となっているもの以外の国債を被控訴人が所持している可能性も疑われるが、その事実を的確に認定することのできる証拠はない。これも、財産分与に当たって斟酌する。

(四)  第二、一の8において認定したように、控訴人は、乙鉄工所退職後、サウジアラビヤ時代に海外に蓄えていた預金を整理し、海外から228万円余を酉支店口座に送金したほか、現金で300万円以上を渡しているところ、控訴人は、原審における本人尋問の際に、その渡した現金の額が500万円であると供述しているし、乙三七号証中にも同旨の記載があるが、右供述及び記載だけでその主張事実を認めることはできず、そのほかそれを的確に認めることのできる証拠はないから、この供述部分は信用し難い。

控訴人は、渡した現金が500万円であることを前提として、一部現金ないしそれによる債券等を被控訴人が所持している旨主張するが、3、(九)及び(十)において認定したように、当時手渡された現金の一部で被控訴人名義及び美和子名義の国債が購入されており、また、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、その頃、電気製品を50万円程度購入していることが認められるから、財産分与に当たって斟酌しなければならない程度の金員を被控訴人が所持しているとは認められない。

(五)  証拠(乙八、九、原審の控訴人)によれば、控訴人は、辛銀行において、貸付信託を昭和51年以前から行っており、昭和51年7月当時には1900万円を超える投資をしていたが、その後毎年のように払出が行われ、別居当時411万円が残っているにすぎない状態となっていたことが認められる。

第二、一の1ないし5において認定したような生計状態によれば、この貸付信託は、控訴人の特有財産であったと認めるのが相当である。

なお、その払出の時期と現在残っている財産の取得時期とを対比してみると、この払出により現在残っている財産の形成の直接の原因となるものと認めることはできないが、その払出の額からして、現在の夫婦財産の形成に大きな貢献をしたことは明らかであるから、これは、財産分与に当たって斟酌する。

(六) また、証拠(乙一○の2、八○の1ないし9)によれば、控訴人は、昭和51年6月から同54年6月までの間に、庚証券智支店で株式等を売却し、1650万円を超える現金を取得していることが認められるが、第二、一の1ないし6において認定したような生計状態によれば、これらの株式等の大部分は、控訴人の特有財産であったと認めるのが相当であり、これが現在の夫婦財産の形成に大きな貢献をしていることが明らかであるから、これは、財産分与に当たって斟酌する。

三 以上の認定事実に基づき、本件離婚請求における財産分与をいかなる内容のものと定めるかを、以下検討する。

1  以上の認定によると、控訴人の特有財産とみなすべきものは、〈1〉中野区○○○の土地、〈2〉中野区○○の借地権、〈3〉辛銀行の貸付信託、〈8〉乙鉄工所株以外の株式であり、他方、被控訴人の特有財産とみなすべきものは、〈1〉債券番号(11)中の60万円相当部分の債券、〈2〉債券番号(13)の債券、〈3〉債券番号(15)ないし(18)の各債券、〈4〉債券番号(19)中の60万円相当部分の債券である。また、美和子名義の130万円のB債券は夫婦共有財産とみなすべきものであるが、その使途に鑑み、財産分与の対象としない。

2  財産分与の対象となる実質的夫婦共有財産は、次のとおりである。

(一)  不動産関係      合計1600万円

(1) ○○○○別荘地      1400万円

(2) 中野区○○の建物      200万円

(二)  ゴルフ会員権関係   合計4000万円

(1) 桜カントリークラブ     200万円

(2) 梅カントリー倶楽部     670万円

(3) 桐カントリークラブ     800万円

(4) 松カントリークラブ会員権 2330万円

(三)  債券関係       合計1200万円

(1) 債券番号(1)ないし(12)(ただし、(11)はうち60万円)、(14)、(19)(うち90万円)、(20)の合計

約1169万円

(2) 二、3、(十四)、(2)の被控訴人名義のA債券

31万円

(四)  宝石類関係          80万円

(五)  株式関係          140万円

総計7020万円

3  これまで認定した婚姻中の双方の生活状態、特に、被控訴人が控訴人の特有財産及び夫婦共有財産の維持管理に当たって貢献を果たしているものの、ゴルフ等の遊興に多額の支出をしていて、夫婦財産の形成及び増加にさほどの貢献をしていないこと、夫婦共有財産形成には控訴人の特有財産が大きく貢献していること、別居後の双方の住居その他の生活状態、特に、別居中の生活費は双方でそれぞれ負担したほか、功平の養育費を被控訴人が負担したこと、財産分与の対象としてはいないが、被控訴人が本件以外にも夫婦共有財産とみなすべき財産を所持している可能性が疑われること等本件の諸事情を考慮すると、財産分与の対象となる金額の約3割6分に相当する2510万円を被控訴人に分与し、その余を控訴人に分与するのが相当である。

4  そうすると、各財産の性質、所有名義、占有状態等のほか、本件記録に顕れた一切の事情を斟酌すると、本件離婚に伴う財産分与として、右財産のうち、(二)中の(4)のゴルフ会員権、(四)の宝石類及び(三)の債券類のうち100万円相当部分を被控訴人に取得させ、残りを控訴人に取得させることとする。

そして、右控訴人、被控訴人取得財産のうち、不動産、ゴルフ会員権及び株式はそれぞれ取得者名義であり、かつ、取得者が占有しているし、また、被控訴人が取得する宝石類は被控訴人が占有しているから、それらについては、主文において、各当事者に分与する旨を掲記しない。

これに対し、被控訴人が取得する債券類は100万円相当であるから、前記共有財産に属すると認められ、かつ、被控訴人が持ち出した債券類の評価額との差額相当の1100万円については、主文で、控訴人に分与される旨を宣言し、その金額相当額の支払を命じることとする。

第三結論

以上によれば、被控訴人の離婚の請求は理由があるので、同旨の原判決は相当であるが、財産分与については変更しなければならないので、本件控訴に基づき原判決の主文第二項を右の限度に変更し、その余の控訴は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法96条、89条、92条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 田中康久 高橋勝男)

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